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メール・マガジン
「FNサービス 問題解決おたすけマン」
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★第099号 ’01−07−13★
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質問が下手
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●地球上、最も知性的な
のは(ノーベル賞獲得数からすると)ユダヤ人ではないか、と申しますが、
その証明の一つは彼らの質問癖。 こんなジョークもあるくらいです。
「ユダヤ人に質問すると、答えでなく質問が返って来るんですって?」
訊かれたユダヤ人、「そんな作り話、誰から聞いたんだね?」 !!
知性を働かせるには、まず質問を発する意欲、次に的確な質問を発する力。
CBSイブニング・ニュースなどのインタビュー場面を観るたび、日本的
質問の優しさ、あるいは<鈍さ>、との違いに溜息を吐かされます。
質問する<意欲>はいわば個人の資質。 これはその人次第。 周りから
どうこう出来るもんじゃありません。 が、
<的確な質問を発する力>の方は、何が<的確な>のかだけでも研究する
余地があり、そのための方法もあるので、それを身に着け、補強改善する
ことが可能です。 ご想像のように、
Rational Process はその<方法>の一つ。 ですから、EM法のマクラ
(の、あるバージョン)では、その点を強調します。 ざっとこんな具合。
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Rational Process は一口に言って<問題解決の技法>です。 問題を
解決するには普通、みんなの知恵を集め、お互いに確かめ合うでしょう。
即ち、衆知の結集と合意の形成。 作業としては言葉のやり取り、つまり
ディスカッション。 別に目新しいことではないし、難しくもない、、
だから上手く行なわれているか? いや、たいてい、あまり上手くない。
第一、気前よく喋ってくれる人が少ない。 消極的、無関心、あるいは
コンテンツの不足。 うかうか発言できない風土、という場合もある。
何とか喋ってくれたとしても、それぞれの見方で得た情報を、それぞれの
表現で、だから当然バラツキ大。 「群盲象を撫づ」の譬えもあります。
箒のようだ、太鼓のようだ、綱のようだ、、 どれも<象>らしくないが、
本人たちにとってはそれが<象>。 これじゃ<象>が分かったことに
なるまい、という説話ですが、今もそのまま通用します。 即ち
情報が手に入る時は、やむを得ず断片的でしかなく、整理されてもいない。
そして無意識的にみんな、自分が一番マトモ、と信じ込んでいる。
そんな<部分>情報をたとえ誤り無く組み合わせ、適切に表現し得た、と
しても、浮かび上がるのは(その説話の場合)象の<形>だけ。 習性や
能力、つまり中身はまた別。 即ち、<もらえる情報>は常に十分でなく、
それで分かった気になっていたら危険です。
では、どうすべきか?
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相手がくれる情報をただ<もらう>のではなく、<判断を下すのに必要な
情報>が得られるような質問を発し、<その質問に答えてもらう>こと。
そうすれば第一に情報の獲得が速い。 第二に、役立たない情報を自動的
に排除することになるので、獲得後の処理も速くなる。 しかしそれには、
どんな情報が必要か、を基本的に知っていなくてはなりません。 それに
基づいて発せられるのが<議論の要点を押さえる質問>、それが<上手な
質問>です、、 はリクツ。 実際には上手でない、
つまり下手な質問があまりにも多い。 下手も色々、時に的はずれ、多く
は自己主張、しかも抽象的。 そんなのをぶつければ因果応報、得られる
答えもまた、的はずれで抽象的な自己主張。
そんな応酬で無為に時間が過ぎるうち状況が切迫し、結局は経験・カン・
度胸のエイヤ! それでも運が良ければ、何とかなってしまう。 それが
重なって、そこの流儀になる、、 てなこと珍しくないが、良いのかな?
上手い質問をする天性の人もいなくはないが、せっかく<方法>があるの
だから、フツーの人はそれを用いた方が良いに決まっています。 本日の
研修は、そのための、、
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●こんなレクチャーを
して上げたくなった相手は、衆議院外務委員会で田中外相に食い下がった
質問者、鈴木宗男議員。 あの第1ラウンドにウンザリしたのは外相だけ
ではない。 <洗練>という語、彼の辞書に無いのでは?
報道で見聞した限り、質問の形を借りた自己正当化の発言ないしパフォー
マンス。 マスコミが伝えた情報をタネに、的はずれの自己主張を延々、
それも流暢とは言えない日本語で。 答える側も意欲が失せますな。
水茎も麗しく、目にするなり財布を取り出す気にさせられる、という
請求書を、昔、受け取って感心したことがあります。 質問も同様、
<答えたくなる>ように持ちかけなくちゃ。 ところが多いのは、
いきなりは要点に迫らず、ひと通り自説を述べ、これについてはいかが?
と訊く日本的回り道スタイルです。 <自説>だから「私は、、と思う
(あるいは、考える、聞いた、エトセトラ)」は当然ですが、
「私は」の後が長すぎて、「思う」などで結ぶことを忘れたまま次の話題
へ移る。 そしてそこに、またもや「私は」を入れる。 本人は無自覚、
だが、聞かされる方には<主語あれど述語なし>の連続。 結局「私は」
の連呼、即ち<自己>の<主張>、になってしまう、、 のは彼だけでは
ないが、今回それは、内容的にもドギツク、
「鈴木宗男の人権にもかかわる、、」と来たもんだ。 <国>レベルで
論議する場、なのに。 煙を感じるのは、普通、火を焚いた経験のある人。
あのイキリ立ちぶり、<語るに落つ>ではあるまいか。 それにしても、
業務的な会議に出た管理職が、「変な噂がある、あれはオレのことか、
あんたが言ったのか?」と1時間も上役に噛み付いて放さなかったら
フツーじゃないし、そんな人が肩をそびやかすことも許されまい。
<そんな人>が結構な役職にあり、「存在感のある実力派、、」など
言われているあの世界が、やはりフツーじゃない、んでしょうな。
*
形は<質問>でしたが、ディスカッションという知的かつ建設的な作業に
役立つものとは思えなかった。 鈴木議員の質問が<情報獲得>のため
ではなく、もっぱら相手を追いつめることを目的としたものだったからで
しょう。 狙いは、自分を有利にするか相手を不利にするか。 で、
<言質を取る作業>に終始し、直球よりも変化球を多用。 勝ち負けが
かかるので、両者容易に譲れない。 だから、時間がかかるし、答えは
防衛的になる。 言質を取られぬよう、努めて抽象的に表現する。 と、
それに絡まって発せられる次の質問も、また抽象的になる。 いわば
<政治的質問>。 体裁はともかく、実質は喧嘩です。 解決のためでは
なく、重ねられるに従って問題が大きくなる種類の質問。 もし、
そんなのをぶつけられたら、ノンポリおたすけマンは背を向けて応じない
が、田中外相はその世界の人だし、あの成り行きでは背を向けるわけには
行かず、少々気の毒でした。 そこで外相、
第2ラウンドは多少マシな論議にしたいと熱望してそのあまり、「立法府
への介入」を犯してしまった、、 と言うのだが、どうも釈然としません
な、土肥さん。 あなた自身も何か出来た、のではなかったか?
委員長はいわば議事のアンパイア。 鮮やかに捌いて良いゲームを作る役。
議事を捗らせ、論議の成果をより多くもたらすのが委員長の役目でしょ?
第1ラウンド不毛の責任は、まず<長>にあったのではないか? なのに
冷然、無為、無表情。 相撲の呼び出し同然。 誠意や努力、見て取れず。
<日本の常識>でなら、外相からの電話を受けた時、即座に指摘し、戒め、
ついでに武士の情け、<忘れる>ことだって出来たのではあるまいか。
それを敢えて当日冒頭、スッパ抜くかのように発表して外相を痛めつけた
のは点数稼ぎ、、 は下衆の勘ぐりだろうけれど、底深い意図を感じます。
で、モメてしまい、その日は議事なし。 税金で賄われる身でありながら、
何だろうと口実にして働かずに済ませるあたり、議員も役人も違いは無い。
道理でみんな、なりたがるわけだ。
* *
Rational Process のワーク・シートは、議論の順序と、それぞれの段階
でのポイントを図式化したものです。 いわば忠実無比の<議事促進係>。
まずこの点を固めましょう、ここではこのような情報を集めましょう、と
的確に、余分な味付け無く、指示します。 外務委員長のような底意地
悪いことはゼッタイしません。 モメないから、<議事>は捗ります。
<議>員のくせに順序も筋も無いとは
Irrational 。 しかも大きな声と態度でまくし立てられた内容は
Local。 何が<国権の最高機関>だ?
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●役者を変えても
質問の下手さ加減は変わらない。 たとえば<党首討論>。 英国議会の
<
Question Time >に倣って、週1回40分間、国家基本政策委員会で総理大臣と野党党首が対面して議論する、、
と資料にはあるが、故小渕総理昨年2月の第1回以来これまで、<討論>
と呼ぶにふさわしいのがあったかな? 即ち正しくは
< Questionable >Time 。 「観てのお帰り!」だったら、誰もお代は払うまいね。
政界トップのオープンな政策論争、しかもTV中継されるのだから、さぞ
工夫してカッコ良くやってくれるだろう、と期待した私はバカでした。
*
特に民主党鳩山代表には毎度、イライラさせられます。 万年野党の万年
青年。 どうせ<言うだけ>なんだから、せめて元気良く、、
とは行かない男(っぽくない人)。 力無い声、宙を漂う目線。 質問に
しては前置きが長く、愚痴っぽい。 教養が邪魔して、だろうが<迫>る
<力>を感じさせない。 それがいつも、
一番手24分間。 せっかく長い槍も使い手がナマクラ、かすりもしない。
その影響か、その後に続く3党合計16分までシケてしまう。 普通、
良い議論は活発な雰囲気を生み出す。 逆に、盛り上げることで良い議論
にも出来る。 失礼ながらこの人、討論のリーダーには不向きですね。
* *
嗤うべきは、社民党土井党首の「5分で討論できますか?」。 ご尤もだ
が、そんなの<5分>と決まるまでの質問。 ここでするのは的はずれ。
いまさら何だ。 ナギナタが無きゃ、小太刀で戦うのみ。 寸鉄人を殺す。
質問は秒単位で出来ること。 それでやり込める工夫をしなくちゃ。
しかし「できますか?」は質問じゃないね。 「出来るわけ無い」という
彼女の主張へ連なる導入部。 そう思うのは彼女の自由だが、その彼女を
<工夫の無い人>と見るのは私の自由。 不思議は無い、
彼女は長らく<何でも反対>党。 「ハンターイ!」は工夫無しで叫べる。
習い性となって、世に役立つ工夫はしなくなる。 そういう人たちの集団、
の親分だからね。 「できますか?」、即ち「出来るわけ無い」は、知的
でも生産的でもない<工夫無き人>の言い草。 彼女もまた、みずからの
言葉で自分を語ったわけでした。
* * *
自由党小沢党首は工夫した。 が、姑息。 何と、<質問しないこと>に。
5分間のすべてを自説の披瀝に当て、最後に申し訳の質問、1項目のみ。
選挙を控え、演説をぶつ機会として利用しやがった。 そんな邪道を安易
に選択した彼は、まさに<旧来日本>的。 グローバルには通用すまい。
元BBC記者ジュリエット・ヒンデル女史が、本家との比較で言います。
「質問者のスピーチが長い。 もっと速く質問しないと、答えの時間が
無くなってしまう。 みんなが聞きたいのは首相の答えなのだから」。
異議無し。 でも、日本人の質問てのは、あんなものなのです。 相手を
ギョッとかゾッとさせる、グサリ!というのは、DNAに無いみたい。
一応はQ&A、しかし<討論>にはならない。 <知的生産>にほど遠い
低次元。 「委員会でも出来ることだよね、、」と首相は的確。
* * * *
せっかく党首同士が討論するのだから、こんな成果を挙げよう、、という
MUST や
WANT に基づいて、とかすれば良さそうなものですが、あいにく永田町の皆さんにEM法研修を提供した記憶はありません。
かの伊藤博文が「政治とは周旋」と断じたそうですが、<現実>的すぎる。
需要と供給を一致させることは大切だけれど、魚心あらば水心、や足して
二で割るようなアプローチ、正義やビジョンには無縁です。
そう言えば<周旋>の類似、義理と人情の土建業界もEM法顧客リストに
載っていなかった。 それと相性の良い政界、やはり
Rational Processの顧客にはなり得なかったのでしょうが、改むるに憚ることなかれ、
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Accountability 説明責任を果たすにも、議事を円滑に運んでより大きな
成果を導き出すにも、あるいはせめて<質問者におけるビジョン>を確立
するためにも、今からでも
Rational Process 、お役に立ちますぞ。
少なくとも<建設的な質問>が<上手く>なり、「私が、私が、」でなく
なること請け合い。
この時代、政治家も少しはスマートにならにゃあ、、
■竹島元一■
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